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連載/2018年11月号 |
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フランスパンの巨匠、フィリップ・ビゴ氏逝く - 一粒の麦から46(文・本行恵子) | |
日本に本物のフランスパンを広めたプィリップ・ビゴさんが、去る9月17日76歳の誕生日にお亡くなりになりました。
突然の訃報に、いまだに信じられない想いです。今年の夏には「また芦屋に遊びにいらっしゃい」と声をかけていただのに、すぐお訪ねしなかったことが悔やまれます。 「日本のパン業界がもっとよくなるために、若いパン職人の育成と社会的な地位向上に力を入れたい」とおっしゃっていました。もっとお話を伺いたかったのに、残念です。 「パンは命の糧」と真摯にパンを作る はじめてビゴさんにお会いしたのは記者になって間もない頃、日本フランスパン友の会の講習会を取材した時です。その時食べたビゴさんのバゲットは風味豊かで味わい深く、今でも印象に残っています。それからも度々取材を通し、パン作りの神髄を学ばせていただきました。本物のフランスパンを作るためには一切の妥協を許さず、時短、合理化、添加物などはもってのほかと、弟子たちだけでなく、自分に対しても厳しく律していました。 講習会では「パンは命の糧。命を繋ぐ食べ物を真心こめて作るのが、パン職人の仕事。清潔な環境で材料を無駄にせず、パン生地の気持ちになってベストのタイミングで作業する」という彼自身の言葉通り、丁寧なパン作りを指導されていました。 ある受講者は「普段の陽気な振る舞いと違って、真剣にパン作りに向き合っている顔を見た時は、驚きと感動がありました」と語るほど、パン作りの姿勢は常に真摯でした。またご機嫌が良いとシャンソンから演歌まで幅広いジャンルの歌を披露し、関西弁でその場を盛り上げ楽しませてくださいました。 レイモン・カルヴェル氏の薦めで日本へ ビゴさんはフランスの国立製粉学校教授レイモン・カルヴェル氏の薦めで、昭和42年(1965年)4月、第6回東京国際見本市会場でフランスパンのデモンストレーションをするパン職人として来日しました。見本市が大成功に終わった後、「ドンク」の創業者である藤井幸男氏の招きで同社に入り、日本全国の支店にフランスパンの技術を広め活躍しました。 そして1972年にドンク芦屋店を藤井幸男氏から譲り受け、「ビゴの店」を開きます。その後も、関西での店舗展開は順調に続きました。そして、1984年にはプランタン銀座に「ドゥース・フランス」をオープンし、東京進出の夢も実現。 1995年の阪神・淡路大震災で店は大きな被害を受けましたが、被害の少なかった社員と一緒にパンを焼き被災した人々に提供し続けました。食料が乏しい中で、パンはそのまま食べることができ、被災者だけでなく支援活動をするボランティアの人たちからも喜ばれました。 まさに「パンは命の糧」となり、多くの人々の命を救ったのです。その体験から、パン職人としての誇りと勇気を与えられたそうです。 ビゴさんは「人に役立つ仕事をしていて、本当に良かったと思いました。困難な事にぶつかった時は、生かされていることに感謝し前に進んでいく勇気も与えられました」と震災後に語っています。 地元から愛されるパン屋さんを目指す 娘が小さなパン屋を開業した1年後、ビゴさんは藤森二郎さん(ビゴ東京)を伴って、芦屋から千葉までわざわざお祝いに来てくださいました。一人で経営する心細さを感じていた娘に「コツコツまじめにパンを焼き、地域の人たちの毎日の暮らしになくてはならない存在になることが大事。くじけそうになったらビゴさんが応援していると思いなさい」と励ましの言葉をいただきました。 そのメッセージは後継者である息子の太郎さんと次郎さん、そして「ビゴの店」から独立していった多くの弟子たちにも伝えられています。今もきっとどこかで、皆のことを見守ってくださっていることでしょう。 |




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