一粒の麦から[7]‐本行恵子 / 世界杯を目指す日本のパン職人たち - ブランスリー電子版


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連載/2012年5月号

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一粒の麦から[7]‐本行恵子
世界杯を目指す日本のパン職人たち


本行 恵子(ほんぎょう けいこ) パンと食のライター。家庭製パン教室を10年間主宰した後、パン業界専門誌『B&C』の編集記者、編集長として勤務。16年間の在職中、日本各地のリテールベーカリーや欧米、アジア諸国を訪問し、パンと食文化を取材。現在はフリーの立場で、業界専門誌や企業ホームページでの執筆活動、業界関連団体への企画提案などを行っている。ライフワークは、パンのある食卓の提案。



パンの世界杯に日本も参加
2012年CDMで優勝した右から畑仲さん、佐々木さん、長田さん。左は監督の成瀬さん(写真提供・CDM実行委員会)
 パンの世界杯コンクール「クープ・デュ・モンド・ド・ラ・ブーランジュリー」に日本が初めて参加出場が決まったのは1994年のことでした。当時は「ベーカリー・ワールド・カップ」といわれていました。そのとき以来、毎回選手たちを取材し応援し続けてきた私にとって、このコンクールには特別な思い入れがあります。
 この世界杯の目的は、技術研鑽の場として機能することと、ブーランジェという職業の社会的認知度を高めることです。さらにパン職人同士が友情で結ばれ、世界中に友達の輪が広がり、いろいろな可能性が生まれ、国同士の繋がりが強まるという効果も生んできました。
 1994年の初出場から今回までの日本代表選手たちの道のりは、平坦ではありませんでした。日本が初めて出場した時は、日本フランスパン友の会が窓口となり、ピエール・プリジャン氏(アミカル日本支部会長)がコーディネーターとして、日仏両国間の交渉を引き受けてくれました。コンクールの詳細は、当然ながらフランス語で示されます。その情報を日本の選手たちに伝え、作品作りに活かすのは、初めてのことでもあり難しいことでした。今のようにインターネットを通じて現地の情報を集めることはできず、フランスの粉や食材も簡単には手に入らない時代でしたから、選手たちは会場に用意される材料を想像しながらトレーニングに励みました。そして回を重ねる度に支援企業も増え、2002年に日本が初優勝した時は、大々的に祝勝会も行われました。パン部門のドンク・菊谷尚宏さん、ヴィエノワズリー部門の当時帝国ホテルの所属だった山恕W隆二さん、飾りパン部門の、当時神戸屋レストランの所属だった渡辺明生さんの3選手たちの知名度は上がり、各選手が所属していた会社のイメージアップにもなりました。



日本チームが2回目の優勝

 そして今年の3月3日~7日、フランスのパリで行われたパンの世界杯を競うコンクール「クープ・デュ・モンド・ド・ラ・ブーランジュリー(CDM)2012」では、日本が見事2回目の優勝を果たしました。キャプテンを務めた飾りパン部門の神戸屋レストラン・畑仲尉夫さん、パン部門の神戸屋レストラン・長田有紀さん、ヴィエノワズリー部門のポンパドウル・佐々木卓也さんの3人が代表選手として出場。試合運びは順調で、規定の8時間より早く終了。2位のアメリカとは僅差でしたが作品の完成度に加えチームワークの良さも評価され、見事優勝カップを手にすることができました。
 10年ぶりの快挙は業界内外から注目を集めました。結果発表の翌日には日本でも民放テレビの海外ニュースに取り上げられ、パンの世界杯を世間一般に広める良い機会となったのです。
 選手たちは通常の仕事をしながらの挑戦でしたから、厳しく辛いこともたくさんあったと思います。しかし自分の実力を試すために世界の舞台に立つという目標は、多くの挑戦者たちに夢を与えています。こうした世界杯を目指すコンクールが、若手のパン職人たちに働く意欲を与え、モチベーションを上げることに繋がっていることは素晴らしいことです。
 しかし一方で「パンの世界杯コンクールに挑戦できるのは、大手企業だけの話。会社のサポートがない個人店では無理」と諦める人もいます。そうした思いを打ち破るように個人店で挑戦したのが、岐阜県・高山市の「トラン・ブルー」の成瀬正さんでした。オーナーシェフとして毎日製造現場に立つという状況で挑戦することが、どれほど困難であったか。しかし可能な限りチームでトレーニングを積み、2005年4月のCDMでは3位に入賞。今回は選手団団長としてチームをまとめ技術指導にもあたった結果、優勝し最高のメダルを勝ちとることができました。
 後に続く後輩たちは成瀬さんの挑戦に励まされ、様々なコンクールに挑む個人店のオーナーシェフが増えてきました。



業界全体で支援する仕組みが必要

 今年の9月には、ドイツ・ミュンヘンのイバ展会場で行われる「第3回イバカップ」があります。こちらは福岡の「タンドルマン」オーナーシェフの渡辺裕之さんと、群馬県太田市の「マイピア」の店長、大村田さんが日本代表として出場します。そして2013年にフランスで開催される「第4回モンディアル・デュ・パン」の日本代表選考も現在進行中です。個人店のオーナーシェフやスタッフ達が続々応募することでしょう。また来年の1月イタリアで開催される「ジェラートワールドカップ2013」のパン部門にも、日本チームが参加する予定です。
 多くの世界杯に挑戦してきた日本のパン職人たちは、世界でトップレベルに成長しています。その日本に刺激を受けた台湾、韓国、中国などアジア各国も切磋琢磨しています。台湾はCDMで2008年には2位に、今回も3位に入賞し、近い将来優勝する可能性もあります。かつて日本人がヨーロッパを目指したように、アジアの人々は日本を目指しています。
 今後は各コンクールの窓口を国内で一本化し、業界全体で支援する仕組みを作る時期に来ていると思います。ぞれぞれの想いを一つにすれば大きな力が生まれ、日本チームの実力がもっと発揮できることでしょう。



原価計算女王
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