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特集/2011年4月号 |
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私はこうして独立しました
独立を夢見て、日々修業に励むパン職人は多い。しかし、ベーカリーの場合は、機械設備などにお金がかかり、そう簡単に独立できるものではない。そこで今回は、晴れて独立を果たし、ベーカリー経営に日々励むオーナーブーランジェに、独立のきっかけや、独立までの道筋、開店後の苦労話などについて取材した。
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コンテストに出場したことが独立するときに役に立った-オセアンブルーの橋本高広さん | |
かなりの冒険だったが、独立の道を選んだ
神奈川県平塚市の「オセアンブルー」は2007年にオープンしたベーカリーだ。オーナーの橋本高広さんは、大阪のパン専門学校を卒業後、ホテル西洋銀座のベーカリー部門で6年間働いた。その後、日本菓子専門学校の専任教師をおよそ10年間勤めた。教師時代に、パンの国対抗の国際コンクール、ベーカリーワールドカップの日本代表選手に選ばれ、飾りパン部門で、腕をふるった経験もある。 「実際にお店を持ちたいと思ったのは、日本菓子専門学校に教師として入って、ベーカリーワールドカップに出てからですね。ひとつの大きな経験をさせていただいて、次にどうしようかと考えたときに、独立ということが自分の中で課題になりました。教師を続けるという選択肢も、どこかのベーカリーで働くという選択肢もあったのですが、結局冒険ではあったのですが、自分の店を出すことを選びました」と橋本さんは話す。 資金は、国民金融公庫からの融資と、自己資金、親からの借り入れでまかなった。それぞれ3分の1ずつだったという。 融資を受ける上では、「ベーカリーワールドカップ」というパンのコンクールに出ていたことはプラス要因として働いたという。パンの技術が確かだと判断してくれるのだという。 「コンテストに出させていただいて、本当に感謝しています。店を出した後の宣伝としても役にたちましたので、ありがたいと思いました」(橋本さん) 一方、店舗の物件探しは、苦労が多かったという。 「平塚で始めたのは、私の妻の出身地が平塚だったからなのですが、空いている物件がなかなかなくて、苦労しました。店の前に車が止められることがひとつの条件でしたが、不動産屋さんをまわって、条件に合うものを探しました。広さは20坪ぐらいで、家賃が15万から20万ぐらいで考えていました。ここ以外にもう1軒、いいなと思った物件があったのですが、結局、電気の動力の容量が足りなかったんですよ。うちの場合は、機械の会社が予め動力についてチェックしてくれていたので助かりましたが、借りてしまってから電気容量が足りないということにならないように気をつけなければなりません」 オープン前の準備段階の時は比較的ゆったり 橋本さんは、店舗の内外装については、北欧のイメージで、シンプルなデザインの中に木の木目を使ったようなすっきりしたデザインを希望した。店名の『オセアンブルー』はすでに決まっていて、イメージカラーもブルーと決定していた。 「店のイメージを『こういう感じで』と伝えると、デザイナーさんがイラストで描いて見せてくれるんですよ。イラストができてくればそれを見て、細かな修正点の注文を出して修正してもらいました」(橋本さん) 店舗の内外装のデザインが決まると、次にデザイナーから、決定したデザインを実現するための具体的な床材、壁面の素材などの提案と、具体的な費用の提示があり、最終的に橋本さんのゴーサインが出て、工事がスタートした。店の内外装の費用はおよそ700万だったという。 「オープン前は、実際に商売をしているわけではないので、逆に何をしていいかわからないみたいな感じで比較的ゆったりとしていました。オープン時には広告は一切やりませんでした。お客さんも最初からそんなに来ないだろうということで、少しずつお客さんが増えていけばいいだろうと考えていたんです。でも、思ったより多くのお客さんに来ていただいて、仕込みが追いつかなくなりましたね。オープンの最初の3日間は日商30万ぐらいいきました。最終的には、日商10万円で落ち着きました。それからずっと、多少の上がり下がりはありますが、その金額で続いています」 |


銀行員からの転身。まずは専門学校に入学-パン工房シュシュの青木康祐さん | |
千葉県香取市のベーカリー「パン工房シュシュ」がオープンしたのは、約1年前。オーナーシェフの青木康祐さんは銀行員として8年間勤務した後、パン職人の門をたたいた。
「自分で何かやりたいと思っていた銀行員時代、年齢を重ねるごとに人と人の絆を育む仕事をしたいという思いが高まっていきました。こうした中で、学生のときにフランスで食べたパンのおいしさが、ずっと記憶に残っていたんです」 青木さんはもともと、パン職人を志してはいなかったが、学生時代に出合ったおいしいパンの記憶が元となり、同店の開業準備を始めることとなったのだ。 「当時29歳でしたが、パン職人を目指すには、少し歳がいっているかと思いました。何をどうしたらいいかわからない状況だったので、まずはと思い、専門学校に入学しました」 東京製菓専門学校での1年間は、技術の習得以上に、パン業界に関する情報網づくりに役立ったという。卒業後は、ハード系を売りにしている都内の個人店に勤務した。ハード系すなわち、青木さんの記憶に残っていた、フランスで出合ったおいしいパン作りの技術を取得するためだ。 出身地で店を持つ 出店の地は高齢の両親を心配し、実家のある千葉県成田市周辺を考えていた。「地域のお年寄りから子どもまで、幅広い人に来てもらいたい。そのためには、幅広い品揃えができるようになりたい」と、専門学校の講師に相談したところ、千葉県に5店舗展開するベーカリー「ピーターパン」を勧められたという。 ハード系が売りの個人店の後、ピーターパンで店長を務め、数値や商品などの管理から、幅広い商品の展開方法を学んだ。 そして今から1年前、成田市に隣接する香取市に店を構えた。町並みの雰囲気も、歴史ある建物が立ち並んでいるところがよく似ているという。 商品を決定する際に、時間帯を10回程度に分けて街を観察し、客層を予想した。さらに競合店となるインストアや個人店、同店と同タイプのスクラッチベーカリー各店について調べた。「価格は、自分の設定予定よりどの店も低く、アイテムはハード系よりソフト系のパンが充実していた」という。 実際営業してみると、他店より高めの価格にも関わらず「安い」と言ってもらえたり、来店頻度が週に3回以上という人が多いことなど予想外のことも多かったという。また、周辺に3つの高校があり、予想はしていたものの、高校生の数が非常に多かった。 「肩ひじ張らない親しみやすいもの、食感はソフトなもの」を中心に考え、品揃えを調整した。価格は「いくらで販売したいか」ということを優先に決めていくので毎回の悩みどころという。 同店周辺が「小江戸」と言われていることから名付けた、「小江戸あんぱん」(136円)の中身のつぶあんは、「食べ比べた中で、格段に豆の風味が良かった」という小豆を地元の製あん店から仕入れ、同店で炊いている。小豆の風味を生かすため、糖度はかなり低い。幅広い客層に人気の看板商品だ。 <―開業データ―> ◆費用 予算3000万円だったところ、実際かかった費用は3200万円。内訳は店舗内・外装設備工事が1900万円、機械・器具が1000万円、そのほか300万円。 自己資金の1200万円と、日本政策金融公庫から2000万円を合わせてまかなった。 ◆機械 前勤務先であるピーターパンの横手社長から紹介を受け、オーブン、ホイロは新品を購入。ミキサーとシーターは中古を購入した。中古に関しては「以前からお世話になっていて、信頼できる業者に一括依頼した」(青木さん) ◆店舗の設計・デザイン 厨房、機械器具、什器備品などの配置は、業者に希望を伝えた上で施工。さらに細部はコンサルタントの保住光男氏のアドバイスで修正した。デザインは「白壁と木を使い、温もりのある感じ」というイメージで業者に依頼した。「イメージ通りのデザインで、かつ使いやすく納得のいくまで調整できた」(青木さん) |

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